先達と歴史への敬意

先日、所沢教室と入間豊岡教室合同でスタッフの懇親会を行いました。

今年度所属のスタッフの中に、児童発達支援センター所沢市立松原学園で長年保育リーダーをされていた山田敏子先生がいます。

松原学園の勤務歴は42年になるそうで、いわば「所沢の個性派発達の子ども達の母」、「所沢の障害児保育の歴史」と言ってもよいくらいの方です。

せっかく当社に所属してくださっているので、一度スタッフみんなでじっくりとお話をうかがいたいと思っていたので、今回は「山田先生を囲む会」という趣旨で懇親会を開催しました。

ちなみに、私は前職の国立障害者リハビリテーションセンター秩父学園時代に、松原学園と「国と自治体の連携」という研究事業に取り組んでおり(この成果は国際学会にも発表しました)、当時の秩父学園側の現場責任者が私で、松原学園側の現場責任者が山田先生だったご縁で知り合うことになりました。

また私が、趣味で沖縄の三線を弾くことと、山田先生が沖縄ご出身であるという共通点もあり、公私共に親しくさせていただいており、私自身は山田先生のお話をうかがうことはこれまでも何度かあったのですが、その中で昔の障害児保育の大変さやその歴史を聞くにつけ、他のスタッフにも聞いてほしいな、と思い今回の懇親会を企画しました。

懇親会の前半は、主に私が山田先生にいろいろな質問をして、山田先生に答えてもらい、みんなでお酒や食事を楽しみながらそれを聞く、という進行にしました。

まだ養護学校(現在の特別支援学校)が義務化される前のお話なども聞くことができました。

当時は、知的障害の重い子は学校(特殊学級、現在の特別支援学級)から入学を断られることがあったそうで、「就学猶予」という形で松原学園に残る子が少なからずいたそうで、幼児期から思春期の子まで一手に引き受けていた時代もあったそうです。

現在の当社のような短時間個別指導の療育であれば幼児期から思春期まで対応することは可能でしょうけれども、長時間預かり型で、集団で生活を見るタイプの支援で幼児期から思春期まで対応するのは本当に大変なことだと思います。

さらに、重い知的障害を持つ子が多い中、職員1人に対して子ども4人という比率のこともあったそうで、かなり過酷な業務だったことが想像に難くありません。

山田先生世代の福祉職員の方の話は、今回に限らず何度かうかがったことがありますが、本当に強い熱意と使命感を持っておられて、ご自身の生活や人生をなげうって福祉の仕事に懸けている、といった印象があります。

今回の山田先生のお話もそのような雰囲気がチラホラと入っていました。

また、そうした大変だったお話だけでなく、かつて知的障害児として松原学園に通っていた子が、その後ぐんぐん成長して大学にまで進学し、才能を開花させて現在活躍している、といった胸弾むようなお話も(もちろん個人情報は伏せて)してくださいました。

このような、昔の障害児保育や福祉の状況、それから長期にわたる子どもの発達や人生のありようなどは、長年この仕事をやり続けた人にしか語れない重さがあります。

最新の専門的な知識や技術も大事ですが、ひとつの仕事を長年やり続けること、経験や実績を地道に積み重ね続けることの大事さが、スタッフのみんなにも伝わったと思います。

また、現在の職場環境や制度が、上の世代の方々のご努力によってお膳立てされていることも、特に若いスタッフには知ってもらいたいとも思います。

そして懇親会後半は山田先生のお話だけでなく、みんなでざっくばらんに雑談しました。

現在の当社のスタッフは、新卒採用はおらず全員中途採用なので、みんないろいろな経歴や経験を持っています。

保有資格や専門性もさまざまで、その他のスタッフの話もそれぞれに深みがあり、聞いていてとても楽しかったです。

全スタッフ、人柄も前向きで明るい人間がほとんどなので、会は後半に行くほど盛り上がりました。

このような機会をきっかけにしながら、今後もスタッフ間で良い影響を与え合って成長し合えたらいいな、と思っています。
懇親会

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